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戦後直後の韓国製の朝鮮半島地図で初めて竹島を記載した古地図の発見について【ご案内】

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このたび、隠岐の島町では、公益財団法人日本国際問題研究所から、「戦後直後の韓国製の朝鮮半島地図で初めて竹島を記載した古地図」(日本国際問題研究所館所蔵)の複製版の提供を受け、令和6年2月15日から久見竹島歴史館(隠岐の島町竹島資料収集施設)内で展示することになりました。この資料が展示されるのは初めてのことです。

 

◆展示期間  令和6年2月15日 ~ 令和6年9月30日(予定) 

◆展示場所   久見竹島歴史館 (隠岐の島町竹島資料収集施設) 隠岐の島町久見311番3

 

【概要】

日本国際問題研究所からの委託を受けた、島根大学法文学部教授の舩杉力修の調査により、2023年11月、台湾の古書店で発見、購入したものです。朝鮮半島の東側には、分図に「獨島」が、朝鮮半島の南側の済州島の近くの分図には、実在しない「波浪嶼」が記されていること、大韓海峡(対馬海峡)には国境線が記されていないことから、対馬が韓国領であるかのような誤解を招く記載となっていることが分かりました。

今回発見した地図にある分図の「獨島」の記載は、戦後直後の韓国製の朝鮮半島地図で初めて「獨島」を記載した地図と考えられます。また、この地図は、公的地図ではないものの、1951年9月調印のサンフランシスコ平和条約より前の1949年において、竹島と対馬が韓国領であるという韓国側の地理的認識を反映したものであると考えられます。この地図は1948年版が確認されていることから、こうした地理的認識は韓国が成立した1948年まで遡ると考えられます。

 付言すると、1905年の竹島島根県編入前において、韓国側では竹島を記した朝鮮半島の地図は見つかっていません。一方、わが国では、幕府の許可のもと、竹島を経済的に利用していた江戸時代から現在に至るまで、竹島を記した地図が確認されています。すなわち、韓国側では地図上での竹島の記載は、日本に比べて大幅に遅れたことが判明しました。
 竹島問題で国際法上重要なことは、1949年前後に韓国側で竹島が韓国領と地理的に認識されていたことではなく、1951年9月調印、1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約で竹島は日本領保持が確定したこと、そしてそのことが1951年8月の米国国務省ラスク極東担当国務次官補発の書簡などによって確認されていることです。

  

・タイトル:「標準 大韓民國全圖 粁程入:STANDARD MAPS OF KOREA」

・発行年月:檀紀4282年(1949、昭和24)年11月15日印刷

        檀紀4282年(1949、昭和24)年11月20日発行

・発  行  人:李基洛(ソウル特別市中区忠武路)

・製  図  人:金東澯

・発  行  所:大韓書林(ソウル特別市中区忠武路)

・印       刷:ソウルオフセット印刷所(ソウル特別市中区明洞)

・縮       尺:135万分1

・所       蔵:日本国際問題研究所

・大きさ、容量等:地図 1枚、色刷、76.7×54.1cm

 

  写真:竹島資料収集施設(展示場所)

問い合わせ

公益財団法人 日本国際問題研究所
 
       Email:jic-soufu2@jiia.or.jp

このページに関するお問い合わせ
隠岐の島町役場 竹島対策室 竹島対策係
TEL:08512-2-2111
FAX:08512-2-6005