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指定無形民俗文化財公開日(月別)

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長尾田百手祭風流  3日 ※現在休止中

 白山神社の的射神事で、豊作を祈り白山神社の飛地境内荒神社の前に的を置いて行われます。男女各3人からなる6人の役主が弓を射ります。この役主のうち女性は化粧や衣装を以て男装をしており、この祭の特徴の一つとして挙げられます。現在休止中ではありますが、隠岐の中でも小さな集落で守り続けられてきた祭りだと言えます。

 

 布施の山祭り  第一日曜日 (隔年)

 隔年(西暦偶数年)の4月初めに行われる「布施の山祭り」は、祭の前日に山からカズラを伐り出す「帯裁ち」、そのカズラを地区内の2ヶ所の大山神社の御神木に巻きつけ、山仕事の安全を祈る「帯締め」などから成る行事です。これは山開きの行事にあたると考えられ、享保年間(1720年代前後)より杉の植林が行われ、近年まで林業が盛んであった布施地区の生業に根ざしています。

 

いぐり凧揚げ習俗(隠岐いぐり凧祭り)  第2日曜日   

 発祥は定かでありませんが、天保年間(1820年代)には年の吉凶を占うために春一番を待って行っていたと伝えられます。現在では子供の健やかな成長を願い行われています。凧に10個のえぐられた耳があり、「えぐる」の発音が変化して「いぐり」になったと考えられ、風を受け大きな唸り音を上げることも全国的に珍しい特徴の1つです。

 

隠岐国分寺蓮華会舞  21日

 奈良時代から平安時代にかけて、日本には古代の中国、朝鮮などから大陸文化として、舞楽や無言仮面劇が輸入されました。これらは当時、都や全国の主な寺院の祭事で余興として行われました。隠岐国分寺蓮華会舞は、その頃の形に近いものを残しているといわれています。 現在は毎年7つの舞が、弘法大師の命日にあたる4月21日に行われています。

 

水若酢神社祭礼風流  3日(隔年)

 水若酢神社の例大祭として、西暦偶数年の5月3日に執り行われます。檜の葉や鶴、造花で飾られた「蓬莱山」と呼ばれる山車を、五箇地域の少年が社前から御旅所まで曳いていく「山曳神事」は、水害で流された御神体を再び神社まで曳いた故事に習ったとされています。ほかにも古い様式を残す「獅子舞」、「流鏑馬」などの神事が執り行われます。

 

 

玉若酢命神社御霊会風流  5日

 玉若酢命神社の祭礼として6月5日に執り行われます。町内では「ごれえ」と呼ばれ、親しまれています。中でも参道を神馬が駆け上がる「馬入れ神事」は、旧西郷町内8地域の神馬によって執り行われます。隠岐中の神社を統べる惣社の祭として執り行われ、かつてはこの「馬入れ神事」へも島前島後の48地域が参加した壮大なものだったと伝えられています。

 

 

島後久見神楽  15日又は16日 

 穏地神楽の1つで明治22年(1889)に都万油井の神楽社家和田家から、伊勢命神社が中心になって、久見地域で伝習したものです。伊勢命神社の例祭日(西暦偶数年は7月15日、同奇数年は7月16日)に、神事の後、神社の神楽殿で夜を徹して行われます。隠岐神楽はもともと、祈祷の神楽とされ、大漁祈願、雨乞いなどを祈って行われ、舞の所作も衣装も素朴で質素な点が特徴です。

 

御碕神社祭礼宇屋だんじり舞風流  28日(3年に1度)

 享和3年(1803)に御碕神社の遷宮で奉納されたのが始まりとされています。当時の宇屋(現在の東町)の庄屋と流人(与力黒崎某等)が合作したもので、だんじりの上で奏でられる囃子に合わせて舞うため、「だんじり舞」と呼ばれています。現在では、3年に1度、7月28日に御碕神社から出た神輿とだんじりが東町の街頭を練り歩き、広場で舞が披露されます。

 

 

西村神楽  14日

 周吉神楽の1つとして、元来は麦秋6月4日に行われていたことから、麦神楽とも呼ばれています。かつては西村の各戸から新麦1合ずつを取り立てて供え、神楽社家により執り行われていました。昭和25年に東郷の社家村上家から西村地域へと伝授され、現在ではお盆に合わせて8月14日に西村神社の境内で行われています。

 

隠岐の牛突き習俗(牛突き夏場所大会)  15日 

 明治40年(1907)の皇太子(後の大正天皇)の隠岐行啓の資料である『島根県史要』では、隠岐の牛突きは、承久3年(1221)に隠岐・中ノ島へ配流となった後鳥羽上皇を慰めるために島前で始まり、その後、島後でも行われるようになったとされています。時代によって盛衰断絶があったと考えられ、西郷地区としては、中条地区尼寺原、東郷地区アケ山で行われた歴史があります。現在は、隠岐国分寺外苑牛突き場(通称:隠岐モーモードーム)で大会が行われています。

 

隠岐の牛突き習俗(八朔牛突き大会)  第一日曜日

 

 壇鏡神社から2キロほど離れた佐山牛突き場で行われる牛突きで、壇鏡神社の八朔祭の余興として行われていました。八朔とは、八月朔日の略で8月1日を指し、かつてはその日に祭と牛突きがありました。令和3年まで月遅れの9月1日に行われていましたが、令和4年に公開日を9月第一日曜日に変更しています。どちらかの牛が降参するまでの勝負が行われる大会でもあります。

 

 

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隠岐の牛突き習俗(一夜嶽牛突き大会)  第二日曜日

 五箇地区の一夜嶽牛突き大会は、都万地区の壇鏡神社八朔祭の八朔牛突き大会と並び島後の中でも大きな規模で開催されてきた大会です。北方地区、嶽山中腹の一夜嶽神社の奉納行事として、かつては9月13日に行われていましたが、昭和54年頃から10月13日に執り行われるようになりました。令和4年から公開日を10月第二日曜日に変更しています。

 

 

代神楽  17日(隔年)

 穏地神楽の1つで、久見神楽と同じ油井の神楽社家和田家の流れを組んでいます。隔年10月17日の北谷神社の例祭日に、神社境内の神楽殿で公開されます。神楽では、舞台中央を方一間で区切り、ここを舞台として神楽が舞われます。

 

 

隠岐武良祭風流  19日(隔年)

 島後の東北部にある5つの集落によって、西暦奇数年の10月19日に執り行われます。中世の隠岐国守護であった佐々木定綱が、陰陽道の知識を取り入れて始めたとされる日月陰陽和合祭です。当日は日神と月神の尊形が披露され、拝馬神事、占手神事など多数の神事が執り行われます。

 

 

今津のとんど  15日

  今津漁港で毎年1月15日に行われます。大竹で組んだとんどに各家での正月飾りを詰めたサイフ(宝袋)や大吹き流しを飾り、これらを燃やして豊作や豊漁を願います。火を点けたとんどを海に倒し、ふんどし姿の地区の男性が海に飛び込んでこれを解体して、前年に祝い事のあった家に担いで届けます。

 

 

山田客祭風流  2月初午の日

  五箇地区で荒神さんとも呼ばれる客神、牛頭天王を祀る神社は、山田をはじめ那久路、郡、南方等に存在しています。かつては春の豊作祈願祭と秋の収穫感謝祭の二回の祭が行われていましたが、現在は年1回、2月初午の日に当番宅での客祭(昼食)、山田神社での本殿祭、カラスと鼠の絵を描かれた的をめがけて矢を射る射的の神事が神社境内にて執り行われています。

 

御客神社祭礼風流  21日(隔年)

 原田地区御客神社で隔年(西暦偶数年)の3月21日に行われます。その起こりに関しては不明ですが、古代から行われている年占としての的射の行事があり、その年の豊作を祈念し、潔斎や細かな作法でもって行われます。

 

 

 

花生神社祭礼風流  28日

 起源は不詳ですが、隠岐の様子を詳細に記した江戸時代中期の『増補隠州記』に、この祭と思われる記載があります。毎年3月28日、氏子全員の厄を背負った2人の役主が、上下に配置された大小の的をめがけ矢を放って悪魔払いをする「百手神事」が特徴的です。大きな的には三重丸、小さな的には二重丸が描かれています。

 

 

 

このページに関するお問い合わせ
隠岐の島町教育委員会 社会教育課 文化振興係
TEL:08512-2-2126
FAX:08512-2-0619
MAIL:kyouiku-syakyou@town.okinoshima.shimane.jp