県指定文化財(史跡・名勝・天然記念物)
【天然記念物】
岩倉の乳房杉(いわくらのちちすぎ)
島後三大杉の1つ。典型的な隠岐杉で、幹は地上4~8mの部分で15本に分岐し、大小24本の根が垂れ下がっている姿から、その名が付けられました。周辺一帯には柱状節理が崩壊した風穴が見られ、1年を通して湿潤で寒冷な気候が、その成長に起因していると考えられます。樹齢約800年、樹高40m、幹周11m、近隣一帯の山を守る御神木とされています。
樹 齢 | 樹種等 | 樹高・幹周 | 指定年月日 |
約800年 | ウラスギ | 樹高40m、幹周11m | 1965.5.21 |
【天然記念物】
春日神社のクロマツ群(かすがじんじゃのくろまつぐん)
樹齢100~350年とされるクロマツ群で、ナゴラン、セッコクなどの着生植物も確認できます。真っすぐ垂直方向に群生する姿が印象的で、防風林の名残だと考えられ、大正時代には約80本が存在していたと伝えられています。平成に入ってからも樹高日本一といわれた巨木が存在し樹高も群を抜いていましたが、落雷被害にあったため切り倒され、現在は、境内にその根株が展示されています。また、クロマツは島根県の「県木」です。
樹 齢 | 樹種等 | 樹高・幹周 | 指定年月日 |
約100~350年 | クロマツ | 1967.5.30 |
【天然記念物】
世間桜(よのなかざくら)
元屋の山中、建福寺の上方に生育する、「雄桜」と「雌桜」と呼ばれる2本のエドヒガン種の桜の老木で、共に樹齢約700年と言われています。毎年、4月中旬に雄桜が散り始め、かつてはその開花状況で1年の豊作や世間の吉凶を占ったとされ、その噂は江戸にまで伝わったとされています。
名 称 | 樹 種 | 樹高・幹周 | 指定年月日 |
世間桜(雄桜) | エドヒガン | 樹高15.7m、幹周4.0m | 1967.5.30 |
世間桜(雌桜) | エドヒガン | 樹高12.8m、幹周3.2m | 1967.5.30 |
【天然記念物】
鷲ヶ峰およびトカゲ岩(わしがみねおよびとかげいわ)
鷲ヶ峰は、樹齢300年を超える約800本の天然林(自然回帰の森)が存在し、隠岐の生態系のなりたちを探る貴重な資料である他、県下でも最大級の柱状節理の断崖、屏風岩が見られます。
トカゲ岩は、風雨による浸食で形成された全長26mの巨岩で、未だ世界の3か所でしか確認されていない強アルカリ性のアノーソクレース響岩質粗面斑岩です。
鷲ヶ峰とトカゲ岩は、島後で最も高い大満寺山の登山ルートにも通じます。
所在地 | 主要岩質 | 地形項目 | 指定年月日 |
隠岐の島町 布施 | 粗面岩 | 巨石群 | 1967.5.30 |
【天然記念物】
中村のかぶら杉(なかむらのかぶらすぎ)
島後三大杉の1つ。樹齢約600年、樹高38.5m、根元周囲9.3m。1本の株が根元から複数に分かれる形体は、約2万年前の氷河期を経て約1万年前に島となった隠岐の環境の中で独自進化を遂げた姿だと言えます。
樹 齢 | 樹種等 | 樹高・幹周 | 指定年月日 |
約600年 | ウラスギ | 樹高38.5m、幹周9.3m | 1968.6.7 |
【史跡】
平神社古墳(へいじんじゃこふん)
島後では、9基の前方後円墳が確認され、うち7基が八尾川流域に存在しています。平神社古墳は、6世紀後半頃の築造とみられ、この地域の支配層の奮起と考えられています。規模は、全長46m、前方部幅20m、後円部径32mと隠岐最大の前方後円墳です。盗掘にあい副葬品のほとんどは残っていませんが、島後で唯一、埴輪の破片が発見されています。
所在地 | 種 別 | 規 模 | 指定年月日 |
隠岐の島町 平 | 前方後円墳 | 全長46m、前方部幅20m、前方部高さ4.5m、 後円部径32m、後円部高さ5.5m |
1969.5.23 |
【天然記念物】
元屋のオキシャクナゲ自生地(がんやのおきしゃくなげじせいち)
オキシャクナゲは、ホンシャクナゲの一種で隠岐が離島になってから1万年の間に進化した隠岐の固有亜種で、開花期は5~6月、ピンク色の花を咲かせます。シャクナゲは、人の手によって品種改良が進められてきましたが、本来は標高の高い所に分布する植物で、ヒマラヤでは非常に多くの種が確認されています。隠岐では、標高が高く海風が吹き上げる湿潤な場所に自生地が確認されています。
所在地 | 樹種等 | 指定年月日 |
隠岐の島町 元屋 | シャクナゲ | 1970.10.27 |
【史跡】
隠岐国分尼寺跡(おきこくぶんにじあと)
国分尼寺は、国分寺と同じく天平13年(741)の聖武天皇の詔によって全国に建立されました。隠岐国分尼寺跡の付近は尼寺原とよばれ、隠岐国分寺から400mほど離れた八尾平野を見下ろす標高40m程の丘陵地に所在しています。昭和42年(1967)から44年(1969)にかけて発掘調査が行われ、数多くの土器や古瓦とともに金堂や門とみられる遺構が発見されました。
所在地 | 種 別 | 年 代 | 指定年月日 |
隠岐の島町 有木 | 寺跡 | 奈良時代 | 1972.3.31 |
【史跡】
玉若酢命神社古墳群(たまわかすみことじんじゃこふんぐん)
玉若酢命神社の北西側の丘陵地には、前方後円墳1基、円墳14基の計15基の古墳が確認されています。前方後円墳(8号墳)は、全長32m、前方部幅16m、後円部径19mで6世紀後半頃に築造されたと考えられ、後円部の頂上には石室の蓋石と考えられる岩板が露出しています。円墳は径10~15m、高さ1m前後、未発掘のため詳細は不明ですが、内部構造は横穴式石室であると考えられています。
所在地 | 種 別 | 指定年月日 |
隠岐の島町 下西 | 前方後円墳1基、円墳14基 | 1972.7.28 |
【史跡】
大城遺跡(おおしろいせき)
四隅突出型墳丘墓は、弥生時代中期以降、山陽、山陰、北陸の各地方に見られる形式で、日本海側を中心に約90基が確認されています。当時の地域間の交流を示す貴重な遺跡であり、隠岐では唯一、大城遺跡のみが確認されています。昭和30年代には、付近で水鳥等の型を押したスタンプ文土器が出土しています。
所在地 | 種 別 | 規 模 | 指定年月日 |
隠岐の島町 西町 | 四隅突出型墳丘墓 | 長辺約18m、短辺約11m | 2000.3.28 |
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